【「昭和」の青春】第2話《案山子》を歌えない男

Diposkan oleh blogekiyai on Saturday, 27 September 2014

服部の場合

 フォーク酒場昭和の客でもっとも楽しそうに過ごしているのが服部(仮名)である。少なくとも週に3回はやってきて、愉快に歌っていく。ギターはあまりうまくない。そのことは本人も自覚しており、自分がステージに立つときは、店のステージアシスタントに協力を要請する。昭和には楽器のできる若者が控えており、要請があれば伴奏したり、リードギターを弾いたりしてくれるのだ。

 1945年7月の生まれというから現在69歳。戦後の復興とともに成長した年代である。埼玉県志木市の生まれだが、すぐに東京の豪徳寺に移り、そこで育った。先祖は井伊直弼の家来で、黒船が来たときに幕府に報告書を書いたという。

 服部の青春時代はカントリー&ウエスタンの全盛時。あの日劇ウエスタンカーニバルが始まったのが58年。60年代半ばに主役の座をグループサウンズ(GS)に譲るまで、メーンを張ったのはカントリー&ウエスタンとそこから派生したロカビリーだった。あのころ女の子の嬌声(きょうせい)を浴びたのが柳家金語楼の息子の山下敬二郎、のちに作曲家に転身して成功を収める平尾昌晃、現在は飄々とした演技の俳優としても活躍するミッキー・カーチスの3人。

 「ロカビリー3人男は女性に任せるよ。私は寺本圭一が好きだったね」

 学校を卒業すると大手の経済研究所に入って出版業務に携わり、次に働いた市場調査会社では長らくアメリカ駐在員を務めた。

 「カントリーにはまっていた私には、願ったりかなったりの仕事だった」

 51歳のときに医療情報を専門とする出版社を神田に設立し現在にいたる。服部とフォークの本格的な出会いは昭和に出入りするようになってからだという。

Source : http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140927/ent14092707000004-n1.htm