【花形出番です】父の急死…芽生えた覚悟 和泉流狂言方・野村太一郎さん(24)(1)

Diposkan oleh blogekiyai on Sunday, 10 August 2014

【花形出番です】父の急死…芽生えた覚悟 和泉流狂言方・野村太一郎さん(24)(1)

 狂言方(加賀藩前田家お抱えだった野村万蔵家)の家に生まれ、3歳で初舞台を踏みました。

 慣例に従い、祖父(人間国宝の野村萬)に稽古を受け、「靫猿(うつぼざる)」の小猿を演じました。猿の面(おもて)をかけると、自分ではなくなった気がして、猿のまねをしたり、面を触ろうとして怒られた思い出があります。

 狂言では「猿に始まり狐(きつね)に終わる」と言われています。初舞台が「靫猿」で、"卒業論文"が「釣狐(つりぎつね)」。昨年11月、待望の「釣狐」を披(ひら)き(初演し)ましたが、猿も狐も曽祖父(六世万蔵)が打った面をかけました。

 狂言の世界でやっていく覚悟ができたのは14歳。早すぎる父(五世万之丞=没後八世万蔵追贈)の死は決定的でした。生前の父は多忙で、僕は稽古もずっと祖父から受けていましたし、あまり会話をしないまま、44歳で急死してしまった。

 葬儀には大勢の人が列をなし、お弟子さんらが泣いていた。その時初めて父がどれほど人望あつく、人に慕われていたか分かった。「自分も父のような人間になりたい」と思いました。

 でも稽古は厳しい。この試練をどう乗り越えようか、試行錯誤も始まりました。父は決められた運命に対する葛藤をエネルギーに、演出や新作舞台もやった。僕はそれとは正反対で、父の代わりに急遽(きゅうきょ)「三番叟(さんばそう)」を披くことになり、その稽古の過程で覚悟が芽生えた。舞台に立つ技術も人間性も、一気に身につけなければならなかった。ひたすら稽古し、いつか「釣狐」を披く。その思いが支えでした。(談)

Source : http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140810/ent14081010310011-n1.htm