【話の肖像画】タレント・木梨憲武(52)(2)求める笑いは変わらない

Diposkan oleh blogekiyai on Tuesday, 20 May 2014

【話の肖像画】タレント・木梨憲武(52)(2)求める笑いは変わらない

 最近、実家に帰って家業の自転車屋をうろうろしていると店主をしているオヤジと間違われることがあります(笑)。自転車を買いに来てくれた人が「あっ、ノリさんだった」って。父親とは、ほぼ境がなくなってきた感じですね。

 〈中学に入る頃まではクラスで一番小さい方だったと振り返る。おしゃべりと同様の軽快な身のこなしでスポーツを楽しみ、チームワークを重んじ、周囲を思いやる心配りは少年時代から変わらない〉

 小学校時代、新宿とか渋谷は自転車で行くことが挑戦できる一番遠くの都会でした。甲州街道とか(国道)246とかの地図を持っていて、さあ今度みんなで行くぞってチャレンジするのも楽しみでした。もう自転車屋の息子ですから。1人でおばあちゃんの家のある伊東に行ってみたこともありますよ。

 それとサッカー。振り返ればいつも団体競技の中に自分がいました。チームで動いているという思い、そこで自分の立ち位置を考える姿勢は小さい頃からです。中学時代も迷わずサッカーをして、何を勘違いしたのか帝京高校のサッカー部に入っていました。

 〈帝京高校サッカー部は入学当時、既に全国制覇を果たしていた名門。1、3年の時にも優勝し、同世代のトップと過ごした経験は、メッシ選手をはじめとする世界のトップアスリートとの番組作りにも生きている〉

 高校に行ってみると、中学の選抜チームで各地方のトップ選手が全員いるわけです。130人の部員のうち、レギュラーの枠を超える20人がそんな人たちです。日本中の番長が集まっている感じです。「レギュラーの人たちはスパイクももらえるんだ。いいなあ」「日本リーグ(現Jリーグ)に今年は何人が入る」とか言ってあこがれました。そして、そんな番長たちと友達になれるのは楽しかった。

 高校の2年生くらいから何をやっていたのかよく覚えてはいないのですが、先輩に言われて宴会芸のようなものをしていました。ですから、あんまりいじめられたという記憶はありません。「じゃあやります」と言って始めたり、「次は」と切り出して誘導したりする係をしていました。その役目は、今やっていることと変わらないなって思います。

 カラオケに行き、誰がどの順番で歌うかというのは、あいまいなメニューですよね。それをほど良く決めていくのが好きだったようです。「この曲をこの先輩に歌わせたらおもしろい」とか「だって、この人は歌いたがり屋だもん」なんて考えていましたね。段取りを整え、あおったり、かき混ぜたりが役回りでした。

 〈サッカー部の人気者は、やはり野球部の人気者だった石橋貴明と出会う。高校を卒業する頃から、お笑いの登竜門的番組で注目を集め、「とんねるず」としてデビューする〉(聞き手 谷口康雄)

Source : http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140520/ent14052003080001-n1.htm